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てんかんと心因性非てんかん性発作(PNES)編
 「おかえり

(2022年10月号より)

 

減薬のための入院

 

和島 新しい主治医のもとでどのような治療が始まりましたか?

 

うるうる (それまで服用していた)1回13錠のお薬の中に、おそらくデパケンやテグレトールといった抗てんかん薬が複数種類入っていたと思うんですよね。そのデパケンに催奇形性があって、赤ちゃんに良くないっていうのは知られていたので、「安全なお薬一種類だけでいけるように、ほかの薬を全部切っていきましょう」と言われました。ただ、お薬を減らす段階のなかで、日常生活に影響が出てしまうぐらいの症状が出るので有名な薬があったらしくて、そのために入院と言われたんです。

入院したてんかんセンターには「てんかん病棟」といって、フロア全体がてんかん患者さんでいっぱいになっている所がありました。幼児から大人までが同じフロアで共同生活している合宿所みたいな。すごく賑やかな雰囲気で、オープンな所だったんですね。みんなで外の喫茶店に行ったりとか、本当に自由に過ごしていられる所だったんです。

午前と午後に2時間ずつ作業療法と運動療法の時間があって、作業療法では、主に手先を使って工芸や手芸をやりました。

 

和島 運動療法では、どんなことをするのですか?

 

うるうる 想像する運動療法って、ラジオ体操とかストレッチっていう感じだと思うんですけど、そんなに生易しいものではなく…。そのてんかんセンターが山の中にあるんですけど、お日さまが近くて、ものすごく暑いんですね。にも関わらず、平気で運動場に全員を出させて、野球とかさせるんですね(笑)。まったく病人扱いをしなくて。

 

和島 そうした状況でてんかん発作を起こされる方もいたんじゃないんですか?

 

うるうる いろんな発作の人がいました。私とは全然違う自動症(6)の方とか、突然笑ったり喋ったりしてしまう発作の方とか。そのうち、「この人は前兆で舌なめずりがある」とか「口をもぐもぐさせ始めたら大きい発作がくる」っていうのが分かるようになってきました。その前兆が始まると、1人は発作がどんなふうに始まったかを観察したり記録して(7)、もう1人は病棟のあちこちにある発作ボタン(非常ベルみたいなもの)を鳴らして、「発作でーす!」って叫ぶんですね。スタッフの方が来た時には発作が終わってたりもするんですけど、そこで記録を引き継ぐみたいな。

 

和島 たとえば、「発作が右手から始まっていました」とか。発作を観察する癖が身についたということですね。

 

うるうる そうですね。あと、そこには知的障害がある方ですとか、幼児のお子さんですとか、いろんな方がいらっしゃったんですけれども、必ず先生なり看護師さんが、保護者でなく本人に紙を渡して、「こういう治療をします」、「明日からお薬が変わりますが、こういうお薬の名前で、効果はこれこれで、こういう副作用があるかもしれません」っていうことをきちんと説明して…。いまでいうインフォームドコンセントっていうやつですね。そこで本人が「いや、そのお薬を飲むのにはちょっと不安がある」と言う自由もありました。

生活制限もなくて、逆に「こんなにやらせていいのか?」っていうぐらいでした。「いままでの生活制限ってなんだったんだろう?」って、年の近い患者仲間に言ったら、「何それ」って言われたんですよね(笑)。「そんなの受けたことないよ」って。近くにてんかんセンターがある患者さんはすごく進んでるなぁって。いい治療を受けて、普通に部活動とかもやって、普通に就職して、なんかすごいなって思ったんですよね。

 

和島 そうですね。

では、減薬治療のお話に戻ります。お薬を減らしていく過程で様々な精神症状が表れたそうですね。

 

うるうる 急に「怖い!」って思ったんですね。パニック発作のようなものだと思うんですけど、公共の乗り物に乗れなくなったり。そのころから睡眠障害も出てきて…。寝れそうになると急に誰かに切りつけられるとか、そういうグロテスクな夢を見てしまったり。いろんな精神症状みたいなものが日替わりでどんどん出てくるようになったんですよね。

あとは、入院中に一度、外泊で自宅に戻ったんですけど、めでたいのでちょっと高めのお菓子を買って、「明日食べようね」と言って主人と楽しみにしていたんですね。で、次の日に私が起きて、そのお菓子をどうやら食べたらしいんですね。記憶がないんですが(笑)。主人が言うには、私がお菓子を食べている最中にいきなり立ち上がって、ガクガクッと全身けいれんしたらしいんです。で、至急病院に連れ戻されて脳波を録ったんですが、「全然てんかん波が出てない」って言われて…。20代前半のころに「ヒステリーが7~8割」って言われましたが、それから5年ぐらい経って「100%心因性(8)になったのではないか」と。ということは、「もはやてんかんではない」って言われたんですね。

 

和島 その時のお気持ちはいかがでしたか?

 

うるうる 「早くてんかんから卒業したい!」とか「早くお薬をゼロにしたい!」って思っていたのに、いざ「てんかんではないので、抗てんかん薬を飲む根拠がない」って言われると、「いや、そんなはずはない。絶対てんかんです!」って…。すると先生が、「それは自分がいままでアメリカ人だとばかり思っていたら、じつは日本人だったみたいな、アイデンティティの喪失です」って仰って。そこから「新たな私」として、頭の中を全部切り替えることがすごく難しかったですね。いままで十何年間も厳しい生活制限をかけられたり、またそれが原因で周りからひどいことを言われたりしたのはなんだったんだろう…。すごく意味のないことを強いられていたんじゃないかと思うと、「私の青春を返せ!」と腹立たしくなってきて…。それで気持ちが不安定になった時期がありましたね。

6 無意識のうちに様々な動作(口をもぐもぐする、歩き回ったりするなど)を行う症状。

7 患者は発作の最中に意識を失うことが少なくないため、自分の症状を知ることが難しい。また、医師の目の前で発作が起こることは稀であるため、発作を見た人の観察と記録がてんかんの治療方針を決めるための貴重な情報となる。

 

8 心因性非てんかん発作(PNES)のこと。心理的な要因により生じるもので、てんかん発作とよく似ているが、てんかん発作ではない。以前はヒステリー発作や偽発作、疑似発作などの名称が使用されていた。しかし、「ヒステリー」という言葉に対する世間一般の偏見と、「偽」「疑似」という言葉に含まれる医療者の否定的な価値判断への批判から、これらの名称は使用を控えられるようになった。

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