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てんかんと心因性非てんかん性発作(PNES)編
 「おかえり

(2022年10月号より)

 

息子のてんかんと自閉症

 

和島 やがて心因性のてんかんを受容し、またお薬もゼロになったそうですね。その後、無事に息子さまを出産されたのですか?

 

うるうる 私も「(てんかんが)遺伝するんじゃないか」っていう気持ちが強かったので、納得できるところまで主治医と相談したんです。でも、主治医には「遺伝するタイプのてんかんじゃないから大丈夫です。もし子どもさんがてんかんだったとしても、僕が親子一緒に診ますよ」って冗談交じりに仰っていただいたので、「じゃあ大丈夫かな」っていう感じだったんですよね。

ただ、お産も順調ではなくて…。息子はお腹の中にいる時から動きが少ない子だったんですね。ちょっと油断すると、動きが完全に止まってしまって、流産しそうになったり。そういうことを繰り返して、何とか37週までもっていったところで里帰りしたんです。その時に、「トイレ掃除をすると綺麗な子が生まれる」という伝説を耳にしたことがあったので(笑)、珍しく実家のトイレを一生懸命掃除してたんですね。でも、それが悪かったみたいで、破水してしまって…。それから陣痛もつかなくて、破水から40時間経っても生まれる気配がない。分娩台の上で二晩も過ごさせられて…。破水でお腹の中の羊水がどんどんなくなってしまって、おそらく感染症を起こしていたと思うんですよね。私も高熱が出てしまって。三日目にようやく、提携している総合病院で緊急帝王切開っていうことになって、やっと息子が摘出されたんです。けれど、「オギャー」とも泣かなくて、息子はそのまま保育器に直行することになって。首すわりとか、いろいろと母子手帳に書く欄があるんですけど、全部遅いんですよね。成長曲線っていうグラフが下の方に落ちていって。あんな生まれ方をしたので虚弱でもしょうがないかなと思っていたんですけど、やっぱりほかのお子さんとはちょっと違う。

 

和島 その後、息子さまがてんかんを発症したと伺いました。診断までの経緯を詳しくお聞かせいただけますか?

 

うるうる まず、息子が小学1年生…6才の時に初めての熱性けいれんを起こしました。白目をむいて、弓なりに体をそらして、ガクガクして。いままでたくさんの、いろんなてんかん発作を見てきたつもりですけど、自分の子どもが突然そうなるとパニックになって観察どころではなくなって…。「救急車呼ばなきゃ!」と気が動転してしまったんですね。

今度はその半年後、当時流行っていたテレビゲームをやり終えた息子が、いきなりフリーズしちゃったんですね。普段はすごくおしゃべりで身振り手振りがオーバーなのに、ピタッっと止まって…。で、またなんにもなかったかのように、「それでねー!」ってお喋りし始めて…。それと似た発作をてんかんセンターで見たことがあったので、「あ、これはてんかんだ」ってすぐに思いました。

で、私が以前かかった病院とは別の市立病院がありましたので、そこに頼んで脳波の検査をしてもらったんです。でも、全然てんかん波が出なくて…。「お母さんの気のせいじゃないですか?」って言われているあいだに、それまで1日10回ぐらいだった息子の発作が30回ぐらい出るようになって。「もうこれは絶対にてんかんです」って言って、4回目の脳波検査で初めててんかん波がつかまり、診断を受けました。

 

和島 以前の入院生活中にいろんな発作を見た経験がいきたと思うのですが、それ以外に役立ったことはありましたか?

 

うるうる 私が幼いころ、発作を起こしてから目を覚ますと、母の心配そうな顔が覗きこんでいて、私まで不安定になることがありました。なので、息子の発作明けというのでしょうか、意識が回復したときには、笑顔で「おかえり!」って言うんですね。

 

和島 ああ、いいですね。私も発作を起こしたときの親の辛そうな顔に影響を受けました。家の中がどんよりとした空気になるんですけど、優しく「おかえり」って言ってもらえたら救われるだろうなあって思います。

逆にうるうるさんが、息子さまの前で具合が悪くなったことはありませんでしたか?

 

うるうる 息子にはてんかんっていう言葉はちょっと難しかったので、「ときどきぼんやりしちゃうよね。ぼんやりの病気なんだよ」っていう説明をしてたんですけど、まさか私も再発してしまって…。心因性でも倒れる可能性があったので、息子には早くから救急車の呼び方を教えました。実際、私が何かの原因で意識が混濁して、息子が救急車を呼んだこともあります。で、救急隊員から「お名前は?」って訊かれると、自分の名前を名乗っちゃうんですよね、息子が(笑)。「そうじゃなくって、ママのお名前は?」って。「あ、うるうるです」って答えますよね。で、次に「お年は?」って訊かれると、「7歳です!」って(笑)。そんな感じで息子にも支えてもらいました。

 

和島 冒頭でも触れられていましたが、息子さまは自閉症でもあるそうですね。その診断が下りたのはいつごろですか?

 

うるうる 無熱性のてんかん発作が出たのと同じころだと思います。家では本当に大人しくて多動も全然ない。学校も普通級に入れました。でも、秋の運動会を見に行ったところ、マスゲームとかいろいろやってる時に、うちの子が1人でフラフラフラーッとしていて…。小学生のお兄ちゃん、お姉ちゃんの中に紛れ込んだ保育園児みたいな感じだったんですよね。心配になって、担任に「これはどういうことですか?」って訊いたら、「いつもあんな感じですよ」って言われて、これは大変だと思って…。でも、その時は発達障害を診てくれる所が地域になくて…。東京には知的障害がなくても診てくれるお医者さんがいると聞いたので行ってみようと。

いくつかの検査をしたあとに診断が出ました。低学年の時はADHDがメインで広汎性発達障害が混ざっていて。あとは字が書けない学習障害と言われました。高学年になってからは、多動に隠れていた自閉症の要素みたいなものが強くなって、当時でいうアスペルガーという診断に変わりました。

 

和島 息子さまもお悩みになられたと思いますが、うるうるさんはどういうふうに向き合われたのでしょうか。

 

うるうる 私も息子も、みんなとちょっと違うところがあって、いじめの対象になっていたんです。私の場合、母がいじめっ子や学校に何か言って、守ってくれればいいのにって期待していたんです。でも、一切そういうことはしなかったので、結構根に持ってたんですよね、大人になっても。

なので、息子がいじめや体罰に遭った時は、私のような辛い思いはさせたくないという気持ちがありました。学校にもしっかり対応したつもりだったんですけれども、なかなか埒が明かなくて交渉が長引いてしまったんですね。それで息子が不登校になってしまって…。当時の私は「闘わなくっちゃ」って思ったんですけど、息子が大きくなってから話を聞くと、「闘ってほしくなかった」って言ったんですね。私が闘うのを見ると、それが自分を責める材料になって、「もう、自分なんか…」っていう方に気持ちが向いてしまう。いくら血の繋がった親子でも、また同じような状況でも、別人格なんだなっていうことを教わりました。

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