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地方編
 「おたがいさま」
(2017年12月号より)
ぽつラジオを始めた年の暮れに宮城県栗原市在住の加藤さん(60代男性・てんかん患者)と出会いました。当事者活動を長年続けてこられた方です。「傷の舐め合い」と揶揄されても「舐めてみなければ相手の味もわかんないんでないの」と返すところに加藤さんの人柄が表れています。弱さの共通点を探し、認め合う大切さを説く加藤さんの存在を多くの方に知っていただきたいです。観覧には、私たちを繋いでくれた仙台在住の小森はるかさん(20代・女性)をお招きしました。彼女はてんかんではありませんが、ぽつラジオを聞いてからてんかんについて立ち止まって考えるようになったそうです。この回の文字起こしも担当してくれています。

発症から外科治療まで

和島 この番組では、私たちが普段てんかんという病について考えていることを、ぽつりぽつりと話しています。今回は宮城県栗原市に訪れています。ゲストはこの土地で暮らす加藤さん(60代男性)、てんかん患者の方です。

 

加藤 みなさんこんにちは。加藤です。わたしは3歳の時に消化不良が原因で仮死状態になったんですね。それが原因でてんかんになってしまいました。すぐ近くにイチョウの大きい木があるんですけども、その実を親父が食べさせたそうなんですね。で、その場で一度亡くなったんだって。かわいそうだからって、おばあさんが私を懐さ入れて温っためたらしいんですよ。そうしたらば、息吹き返したんだって。次の日は台所で暴れてたって聞いたんですけど、ちょっと今では考えられないなあと。

 

和島 ありがとうございます。てんかんの症状が出始めたのはいつ頃ですか。   

 

加藤 一番最初の発作は、自動症(本人の自覚なしに行われる無意識の動作)ですね。小学校に入った頃、すぐそばにある川さ釣りに行ったんですよ。その時、知らぬ間に川さ入ってたのね。冷たいからふっと気づいて出てきたんですけれども、いま思えば自動症だったんだべなって。でも、病名がつくまでは、ずいぶん病院さ通ったんですよ。側頭葉てんかんですから、みぞおちっていうか、胃のあたりがモヤモヤしますね。お袋には腹痛いって語ったらしいんだね。病院さ連れて行かれても、「疳(かん)の虫強いだけだ」で終わりだったですね。昔はよく疳の虫って言ったからね。で、小学校5年生か6年生の時に、同級生のお母さんから「仙台にある大学病院さ行けば、何か分かるんじゃないんですか」って言ってもらってね。それで大学病院で診てもらって、てんかんだって言われたんだって。

 

和島 その後、治療は順調に進みましたか。  

 

加藤 発作が少なくなって良くなったかなと思っていた頃、新聞で静岡の病院が開院したっていうのを見たんですよ(当時の国立療養所静岡東病院のこと。01年に国立静岡病院と組織統合し、現在の静岡てんかん・神経医療センターとなる)。その写真を切り抜いて、主治医さ持っていったんです。したらば、わたしの恩師が院長になってるんだよってことで、紹介状だったらすぐ書くよって。とんとんと話が進んで、静岡さ行くことになったんですね。  

 

和島 治療の度に静岡に通っていたんですか。  

 

加藤 はい。仙台から夜行で行くと、朝5時頃に東京さ着くんですよ。そこから東海道本線に乗って朝7時頃に着くんですね、静岡さ。担当の先生が薬の博士だった人で、薬を2錠出されたんですね。この薬を2錠飲めば、たぶん発作は止まると思うよって言われたんですね。それをもらって飲んでみたら、最初は副作用で眠かったんですけども、徐々に眠気がなくなって、発作が減ってきたんですよ。(静岡に)2回か3回ぐらいか通ううちに発作はなくなったような感じでね。  

静岡には3年ちょっと通って、発作が治まったから宮城さ戻ってもいいんじゃないんですかって。それで戻ろうとしたんですけれども、宮城の病院には主治医だった先生がもう居なかったんですね。電話帳で随分探して、岩沼の街の中に開業したことがわかりました。そこに通っている間は、10年くらい発作がなかったんですね。

和島 現在は、てんかん専門病院ベーテルに通われているということですけれども、転院のきっかけについて教えていただけますか。  

 

加藤 きっかけはね、薬の副作用で歩けなくなったんですよ。岩沼さも行けなくなったのね。近くの病院に行っても、発作が止まらなくて。で、紹介状書いてもらって、ベーテル病院でMRIとったら(発作の焦点が)すぐに分かったんですね。海馬の部分で、目の後ろ側ですね。扁桃体っていうのかな。視神経のすぐ裏側で、傷と同じように残っているから、薬で治すのは難しいんでないんですかって。手術でここを取ってしまえば80%以上の確率で発作は止まるよって。

ちょうどその頃、てんかんの人たちと一緒に話してたことがあって、手術した人がふたりいたんですね。発作も無くなったって言うから、「どういう風に変わったのすか」って聞いたら、「世間ががらっと変わったようなんです」って言うんですよ。ふたりしてね。だから、私も手術したいって話したったのね。  

 

和島 加藤さんは手術を経験されて、ご自身の変化をどのように実感されていますか。 

 

加藤 昔のわたしは、消極的にものを考えるし、どっちかといえば、口下手な方だったんですね。よく友達に「自分の思ったこと語ったら良かんべ」って言われてたんですけども、やっぱりしゃべりたくないんだよって。なんぼか薬のせいもあって、口数少なくなっていったのかなと思いながら。  

和島 今は話す機会が増えましたか?

加藤 そうですね。積極的に話すようになったし、話していけば相手もある程度応えてくれるから、コミュニケーションはうんと大切にしていきたいなと思っているんです。  

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