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症候性てんかん編
風当たりはどうですか?」

(2017年8月号より)

 

障害の軽い人は社会との摩擦を受けている

 

和島 「ぽつラジオ」に出演した感想をお聞かせいただけますか。

 

ユニ もう一度自分を振り返ることができてよかったです。普段思っていることは、人にはいろんな垣根があるということですが、それを取り払い手を繋いでいくということについて最後に話したいと思います。

私の息子は、皆さんの手を借りなければ生きていけない子で、福祉の中で守られています。お家でも外でもみんなが彼のことを大切にしてくれるし、助けてくれる。彼は本当に安心安全な場所の中にいる。だけど、障害の軽い人は社会との摩擦を受けているんじゃないかと思っています。「ちゃんとやりなさい」、「もっと早く」、「残業して」、「夜中寝ないでも仕上げてください」。そういうことを言われて、耐えている人がいるんじゃないかなと思う。そういう意味で障害の重い軽いと社会での風当たりの強さとは反比例するんじゃないかって。

障害の重い人たちの親の会は、手を繋ぎ合っています。厚労省に陳情に行って、「手当を上げてください」とか「制度を整えてください」という風に、政治家をも動かす力を持つ団体に所属しています。だけど、障害の軽い人は、「病気のことを誰にも言っちゃダメよ」と親に言われてぽつりと孤立しているわけでしょ。

でも、この「ぽつラジオ」があって、みんながこれを聞いて感想を寄せたり、繋がり合えるといい。それを大事にしていくと、一人で頑張ったり、耐えたり、悩みを抱え込んだりしなくてもいい。話す相手がいるっていうことは、本当に心が楽になるの。

 

病名を伝えないことが相手を不安にさせると思った

 

ユキ パープルデー(てんかん啓発イベント)というのが3月にあって、あれも仲間がいるよっていうことですよね。紫(てんかんのシンボルカラー)を身につけて皇居の周りを歩いたり走ったりするんです。私も友達と一緒に歩くことができたし、旦那さんと旦那さんのお母さんも参加してくれたんですよ。

 

ユニ へえ!

 

和島 旦那さんや、旦那さんのお母さんはどんな印象を持たれていましたか。

 

ユキ すごく楽しかったって。来年も参加したいって言ってくれました。お喋りしながら歩いていたら、仲間がこんなにいるんだなって気持ちになれてよかった。

 

和島 旦那さんのご家族は、ユキさんのてんかんのことをご存知なんですね。

 

ユキ そうですね。発作が起きたりする体ですというお話をして、その上で結婚のお話を承諾していただきました。

 

和島 病名を伝えることが、てんかんへの理解を深められるチャンスでもあるんですね。伝えないという選択肢はなかったんですか?

 

ユキ なかったです。伝えない方が相手を不安にさせたり、迷惑をかけると思ったので。たぶん、脳膿瘍(のうのうよう)という病気だけだったら、過去に手術をしただけなので詳しく話してないと思うけど、てんかんという倒れてしまうことがある病気だったので伝えました。

 

ユニ そこがユキさんの素敵なところ。だって、わかってくれない人はたくさんいますから。たぶん、世代もあると思うのね。私の親ぐらいの世代だと全く受け容れない。私の母にとっては孫にあたるわけだけど、上の息子に会う度に「可哀相」と言うの。私は「可哀相じゃないのよ。彼はみんなに助けてもらってるけど、なんにもしていないわけじゃなくて、みんなの役にも立ってるんだから」って言うんだけど、そういう言葉には耳を塞がれてしまって…。

だから、親にも止められて病気のことを言えない人はいると思う。東京の人は少ないかもしれないけど、地方に行くと、やっぱりそれは大きな問題になってしまうの。人ぞれぞれで、その環境にもよると思う。だからこれを聞いて、自分を責めたり、もっと頑張ろうと思わなくてもいい。自分はそんな環境にはいません、と呟いてくれてもいいなあと思っています。

構成・文字起こし:和島香太郎

プロフィール

ユニさん

ふたりの息子さんを育ててきたお母さん。その経験を生かし、ボランティアで患者相談を受けている。

ユキさん

週末のみ営業するカフェのオーナー。32歳で脳膿瘍(のうのうよう)の手術を受け、その後遺症で高次脳機能障害とてんかんを発症。

和島

普段は映像の仕事をしている。「ぽつラジオ」制作者で若年ミオクロニーてんかん患者。

​本編はこちら

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